大坂なおみ選手を育てた母ってどんな人?
プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手は、日本人として初めてグランドスラム優勝を果たした、誰もが知るすごい人です。
※下は最近話題になった、2014年時セリーナ・ウィリアムズと自撮りする場面。大坂なおみ選手の’始まりの地’で撮ったそうです。
『世界一受けたい授業』に大坂なおみ選手の母親がゲストで登場した7月23日は、奇しくも東京オリンピックの開会式からちょうど一年という日でした。
あの晩、最終聖火ランナーとして会場に現れた大坂なおみ選手は、多様性のある社会を目指す日本を代表するに相応しいと、喝采を持って迎えられましたね。
こんな選手を育てた母親が大坂環(おおさか・たまき)さん。どんな人なのだろう?と思っても、今まではあまりメディアで見かけませんでした。
国際結婚し、海外で世界レベルのテニスプレーヤーをサポートと、想像するだに大変だったろう生活には興味をそそられますね。
環さんは最近自伝『トンネルの向こうへ』を出版されたそうです。
21歳での運命の出会いが、波乱万丈の人生の始まりだった
環さんは子どもの時から英語を習わせてもらうなど、大事に育てられたお嬢様だったようです。
北海道で短大の英語科を卒業、金融機関に勤め、後の夫であるマックスさんと出会ったとのこと。明るい性格でスポーツ万能のマックスさんはNY大を出て、来日後ビートたけしの番組にレギュラー出演していたこともあったそうです。
※ちなみにマックスさんのフルネームはLeonard Maxime Francois (レオナルド・マキシム・フランシス)。呼び名の’マックス’はミドルネームから来ているようですね。
しかし、大事な娘の交際相手が外国人と聞いた環さんの父親は動転し、猛反対。父の監視に嫌気がさした環さん、ついに大阪への駆け落ちを敢行します。
結婚し、可愛い二人の娘に恵まれた環さんとマックスさん。しかし生活は苦しく、環さんは昼はコールセンター、夜は夫の仕事の手伝いと、昼夜問わず働いて家族を支えたそうです。
そんな時目にしたのが、アメリカ人テニスプレーヤーのウィリアムズ姉妹。彼女らの成功に触発され、マックスさんは独学でテニスを学び、娘たちに英才教育を施し始めました。
意外なのは子供のころ、才能を見せたのはお姉さんのまりさんで、なおみさんは「ボールも打てなかった」という話です。彼女が将来才能を開花させたのは、ひとえに「努力」と言い切る環さんの姿が印象的でした。
夫が突如アメリカ移住を宣言・実行
子ども向けのテニス大会が少ない日本ではチャンスが限られています。そこでマックスさんは、突如NYへの移住を決断。さらに、温暖なフロリダへと移り住みました。
そこでも環さんは仕事漬けで家計を支えたそうです。また、フロリダで有色人種のファミリーへの風当たりは厳しく、テニスの練習をしていただけで警察を呼ばれたこともあったそう。現在、大坂なおみ選手が社会問題について声を上げ続けている背景を見た気がしました。
当時の暮らしは猪突猛進な夫、苦しい家計、初めての海外生活と大変だったはずなのに、環さんは「楽しかった。毎日やるべきことがあり、若かったのでがむしゃらにがんばれた」と笑顔で語っていました。
ヨネックスの社長がスポンサーになってくれたのが転機
なおみさんが頭角を表し始めるなか、かさむ遠征費用や用具代に悩んだ環さんは「スポンサーをつけるしかない」と決断しました。何枚もの便箋に熱意をつづり、各所に依頼を送りましたが、断られ続けたそうです。
そこを救ってくれたのが、当時のヨネックスの社長でした。なおみさんの将来性と環さんの熱意を感じたのが理由だそう。社長の先見の明と、無名の選手をサポートしようという心意気がすごいですね!
お父さんとも和解!
番組には環さんのお父さんも登場しました。駆け落ちにショックを受けていたお父さんは、長いこと連絡を絶っていたそうです。連絡が復活しても、可愛がるのは孫ばかりで、環さんには厳しい言葉しかかけなかったのだとか…。
「ずっと愛情を持って心配しているけど、素直に表現できなかった。今は全面的に応援している」と笑顔で語るお父さん、こちらもポジティブで強い人なのだろうと感じられました。
現在は穏やかに暮らして…は、いないらしい
今や世界のトップアスリートとして、実力と知名度を備えた大坂なおみ選手。その父親はテニスコーチとして評価を得、今や一家の生活は随分落ち着いたのではないでしょうか。
…なんて思ったら、とんでもなかったです!
マックスさんは今度は故郷のハイチにテニスの学校を作り、現地の子どもたちを教育しているのだとか。環さんは「大変どころじゃない!」と文句を言いつつ、突っ走るマックスさんの後始末やサポートに奔走しているのだそうです。
なおみ選手にそっくりな笑顔や話し方の環さんの、波乱万丈なのにくじけない生き方は見習いたいものがありますね。
またテレビに出て、楽しい苦労話を聞かせてほしいものです!